大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山口地方裁判所岩国支部 昭和34年(わ)274号 判決 1960年11月21日

被告人 青木チセ

明二九・九・七生 農業

青木ミツノ

大一一・七・九生 農業

主文

被告人青木ミツノを懲役五年に、被告人青木チセを懲役四年に各処する。

未決勾留日数中各二八〇日を右本刑にそれぞれ算入する。

押収に係る斧一丁(昭和三五年(押)第五号の二)及び細引一本(同号の四)は没収する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

一、罪となるべき事実

被告人チセは大正七、八年頃峠良助と結婚し、被告人ミツノ外二子を儲けたが、昭和二年頃夫と死別したため、子供等を残して実家に帰り、その二、三年後青木梅次郎と再婚し、肩書住居において農業に従事していたが、その間に子供ができなかつたので昭和六年頃被告人ミツノを養女として引取り養育して来たところ、昭和一六年頃再び夫に先立たれた。その後間もなく被告人ミツノは青木茂雄を入婿として迎え、その間に美雄(当一七年)八重子(当一五年)の二子を儲けたが、性格が合わない等のため離婚し、更に昭和二四年六月二三日青木春一(旧姓富山)を入夫として迎え、茲に春一は家屋敷の外に田畑約四反、山林約二反を所有する農家の一員となつて被告人ミツノ及び同チセ並に前示美雄、八重子等と同居生活を始め農事は殆んど被告人両名に一任し、自分は主として本職である石工に従事しており、次いでミツノとの間に一〇歳を頭に梅男、千代子、美代子の三子を儲けたのである。被告人チセは働き者で家事を主宰し世帯の切り廻しもこまかくいわゆるしつかり者であるに反し、被告人ミツノはむしろおひとよしで自主性に乏しく母親チセの言いなりに成り勝ちであつた。之に対し夫の春一は入家後約半年にして早くも仕事を怠け始め、その儲けは殆んど自分の飲代等に浪費して家計を顧みないのみならず、被告人等に暴力さえも振うようになつたので、遂に被告人チセの発意により昭和二九年四月六日山口家庭裁判所岩国支部において被告人ミツノと調停上の離婚をした。しかし右春一、ミツノの両名は間もなく和諧を遂げ同年五月二〇日再び婚姻届をすると共に被告人チセ方において従前の通り同棲生活を始めたが、春一の素行は依然として治まらず、殊に被告人チセから世帯を譲つて貰えず家計を自由にできないこと等から半ば自棄気味になり、酒を飲んでは家族に当り散らし殴る蹴る等の暴行の絶間もなく甚しきは厳寒の深夜に被告人等を戸外に追い出したり一再ならず老令の被告人チセを殴打して負傷せしめる等のこともあり、隣家或は警察官等の助を求めることも屡々であつたのであるが、之等の暴虐に堪えかねた被告人ミツノ等両名は遂に昭和三一年八月三一日春一に手切金一五万円を与えて協議上の離婚をするに至つた。しかし右両名は又間もなくあいびきを重ねるようになり同年一一月初頃から春一は被告人家に復帰し、昭和三二年九月一九日に至つて三度婚姻届をしたのである。

そして右復縁に際しては春一は強く将来の改心を誓つたのであるがそれにも拘らず依然として同人の粗暴、怠情、飲酒等の悪癖は一向改らず、働いて得た金は少しも家計に入れないで浪費して仕舞うのみか、果ては被告人等の収獲した穀類迄も勝手に処分して飲代に充てるようになつたので当然家計は窮迫し、ついに学校の給食費も払えない始末に立ち至つた。斯くして被告人等の日常生活は陰惨の度を増していたが、昭和三四年一二月初頃からは春一は働きに出ることをやめ、酒や昼寝で徒食しながらことごとに被告人等に当り散らし同月一二日朝の如きは何の理由もなく被告人チセを風呂場附近に押し倒し「殺してやる」と叫んでドライバーを首に突きつけて傷を負わせ、又同月一六日朝に至つては被告人チセに対し「百姓は自分がやるから出て行け、出て行かないと殺してやる」等と怒鳴り、同女が之におそれをなして山仕事をかねて出掛けるとその留守中不法にも同女が愛育する唯一の耕牛を売り払らおうとして、被告人ミツノがこれを止めると手当り次第に物を投げたり柱時計を壊したりして暴行する外「ばゞを殺してやる」等と暴言を吐いたのであるが、之を知つた被告チセは大いに畏布してついにその夜は春一の寝る母屋とは別棟内にある風呂場附近に難を避けて一夜を明し、更に翌一七日には同女の留守中春一が同女等の収獲した米六俵を売り払らおうとして被告人ミツノの制止にあうと「正月迄には家族を皆殺しにするから米はいらん」とか「家に火をつけてやる」等と不穏の放言を繰り返したことを聞知し、益々同人を恐れて同夜は別棟の納屋の藁束の中で一夜を過ごした。

そして一八日を迎えたのであるが、春一は同日は比較的穏やかに過ごし畑仕事の手伝いなどをして午後八時頃先に茶の間(以下間取り等については末尾添付の見取図参照)に就寝し、被告人両名は台所の間において内職の夜業を続けたのである。

これより先被告人両名は既に同年九月頃から前述の如き春一の暴状から遁れる方法につき思いあぐみ、離婚は復縁を逼られてその効なく、結局機を見て春一を抹殺してその暴力と浪費から一挙に解放せられるより外に方策ないものと思料し、随時謀議を重ねていたのであるが、遂に前記夜業の際被告人ミツノから同夜の決行を発議し茲に被告人両名は後記の如き手段方法によつて熟睡中の春一を襲撃殺害せんことの謀議を遂げた。

斯くして被告人等は交々殺害に用いる斧(昭和三五年押第五号の二)玄能(同号の三)及び細引(同号の四)等を納屋等から持参してチセの枕許等に隠して兇行の準備を終えた上、午後一一時頃被告人ミツノは春一等の就寝している茶の間に被告人チセは八重子の就寝している上の間にそれぞれ就床したが、翌一九日午前六時頃先づ目覚めた被告人ミツノが被告人チセを促し、チセは玄能、ミツノは斧を携えて折から熟睡中の春一の寝床に忍び寄り、先づチセが所携の玄能で春一の頭部に一撃を加え、次いでミツノも叫声をあげて起きようとする春一の頭部を目がけて、連続三回斧を打ち下ろし、更にチセは玄能で同人の上腹部附近を殴りつけて頻死の重傷を負わせた後、前記細引を同人の頸部に一回巻きつけ、一端はチセ、他端はミツノとその命令によつて現場に来合わせていた前記八重子の両名が強く引張り、よつて頸部絞圧による急性窒息死に致らせて殺害の目的を達したものである。

二、証拠の標目(略)

三、法令の適用

被告人両名の各殺人の所為は刑法第一九九条、第六〇条に該当するが、その量刑について検討するに本件兇行がその動機原因は判示のとおりであつて被告人等の低い教養と無知に由来する切迫感に基くものであるから少なからず同情に値するものであることは勿論であると共に被告人チセは既に老齢に達しており被告人ミツノにはその帰来を鶴首する判示五名の子女のあることも亦既定の事実である。しかしその反面記録にあらわれたところに審理を通じて得た心証を綜合して仔細に考察するに、

(一)、本件犯行の手段方法が判示の如く極めて残虐であることもさることながら被告人両名は相当長期間に亘り殺害の意思を固くし謀議を重ねており、しかも犯跡隠蔽の手段として春一の死体を納屋に運んで首吊自殺を装わんとしたのであつてこの挙措に出たのは被告人等は予ねて死体は附近の河中に投棄して溺死を装うか又は山陽線の線路上に放置して轢死に見せかけんことを意図していたのであるが犯行時が判示の如く夜明頃の午前六時前後であつたため人目をさけて死体を目的の場所に運搬することが不可能であつたによる次善の工作であつた疑が濃厚であること、

(二)、被告人等には本件犯行の前後を通じて殆んど罪障感なく美雄以下幼弱な五人の子女の面前において殊に八重子に対しては絞殺や犯行隠蔽の実行々為に直接加担せしむる等公然と且つ終始沈着冷静にその目的を遂行したこと、

(三)、判示春一の乱行に対しては親族知己の協力援助を求めるの外家事調停その他各般の手段に訴えて危難を緩和又は遁れる余裕があつたにも拘らず寸毫もその努力を払わず被告人ミツノの現に三児を儲けている夫であつて被告人チセの婿である同人を何等逡巡するところなく一挙に惨殺したものであること、

等が認められ被告等の高度の悪性は之を否定すべくもなく犯情必ずしも軽くないと認めるのを相当とするから叙上列挙の各事情の外諸般の情状を斟酌し、所定刑中有期懲役刑を選択しその刑期範囲内において、被告人両名をそれぞれ主文掲記の刑に処し、未決勾留日数算入については同法第二一条、没収については同法第一九条、訴訟費用負担については刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山根吉三 入江教夫 大下倉保四朗)

見取図(略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例